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クムジュン&ターモトレック
エベレストビューホテルで思いのほか休憩した為、
急ぎ足でクムジュンの村へ。
積雪した林を抜けてると、
緑色に統一された屋根の家が美しい、
山あいの村が見えた。
午後の暖かい陽射しのなか、
のどかな雰囲気の村を歩いた。
次回くる時は、
この村に滞在したいな。
ヒラリースクールに通う女の子に会った。
ヒラリーさんの銅像。
エベレストへつながる道のりの中で、
何度もヒラリーさんの写真を見た。
彼が残したものの大きさを感じた。
ちょうど2日前、ヒラリーさんの命日だったこともあり、
ロッジのダイニングでは、みんなでヒラリーさんのビデオ観賞会。
ターモへ
ナムチェから西へショートトレック。
高低差の少ない歩きやすい道。
目の前の山を超えると、また美しい山々。
そんな景色の繰り返しが、ここでは、あたりまえ。
2日前に降り続いた雪による路面凍結に注意しながら歩いた。
憧れのエベレストビューホテルへ
ナムチェの町から急な丘を登って行くと、
なだらかな道に出た。
ナムチェの町は小さくなり、
360度山々の眺め。
しばらくすると、
木々に囲まれずっしりと佇む建物が遠くに見えた。
こんなにキャッチーで贅沢な名前のホテルが他にあるだろうか。
石と木材で丁寧に造られ、
落ち着いた雰囲気の建物。
エベレストが見えるこの場所に、
ホテルを建てた宮原さん。
途方もない時間と労力を費やし、
材料をここまで運んできたんだろう。
先人がつくりあげていった日本とネパールの歴史を、
自分が来た道のりを振り返り、
少しだけ肌で感じる事ができた。
冷たく強い風が吹くなかテラス席に座り、
この旅で一番近くに表れたエベレストを見た。
この場所からだと、
まだまだ他の山々に圧倒されている様に見えるエベレスト。
長い間、のんびり眺めていたら
その見え方はだんだん変わってきた。
その山は一番後ろからどっしりと、
他の山々を見守っている様にも見えた。
ミルクティーを飲みながら、
最高に贅沢な時間を過ごした。
ダイニングルームからの眺め。
窓ガラスに嘘みたいに綺麗に映っていた山々。
隣の山、ローツェにはおもっきり雲が掛かっていたが、
エベレストはしっかりと姿を表してくれた。ありがとう!
ナムチェをぶらつく
ナムチェブックストア。
名前がいいね。
マウンテンハードウエア。
アウトドアショップも閉まってます。
よく通ったナムチェベーカリー。
ここで作られるパンは、
エベレストベースキャンプ近くの
ゴラクシェプまで運ばれているそう。
カフェ・バー。
エスプレッソマシンで入れてくれたが、
マイナス気温ぎみの店内だったため、すぐ冷めた、、。
看板が愛らしい、エベレストプールバー。
意外と若者で賑わってました。
観光地のナムチェでは貴重なローカル食堂。
現地のオッチャンがちょこちょこ来ていた。
ナムチェの丘にある、国立公園博物館。
エベレスト関連のことがアナログ感たっぷりに展示されてます。
シェルパ博物館。
シェルパ族の家や祭りや生活風景の写真などが展示されてます。
毎週土曜日に行われる、
ナムチェバザール。
物資の玄関口であるルクラや、
近くの村々からいろいろな物が運ばれてくる。
そのためエベレスト街道の物価は高い。
今はオフシーズンの為、
小規模な様子。
僕らが泊まっていたロッジの少年スタッフ達も、
買い出しに来ていた。
必要であれば彼らは、
1日~2日かけて山を下り物を買い出しに行くこともある。
丘の上から見た、
ナムチェの街並み。
この日はいい天気だった。
ナムチェへ
ここを右に曲がるとナムチェがしっかりと見えてくる。
焦る気持ちを抑えながら進む。
パクディンの町から約7時間、
遠くにナムチェの町が見えた。
山に囲まれた小さな町がスゥーと表れる光景。
この景色を見るために登ってきた。
この町が目の前に現れた時、
何か月も前から、自分の頭の中で想像していた光景と同じだった。
それは、
ラダックのリゾンゴンパを見た時に感じた胸の高鳴りだった。
もっと先のベースキャンプやカラパタールに向かうトレッカーには、
ただの通り道かもしれないけど、
僕はこの町に来たかった。
エベレストにいどむ登山家が、
いつの時代も立ちよるこの町を見てみたかった。
適当な宿を見つけ、
部屋の窓から外を眺めると、
雪が沢山降ってきた。
冷えた体を温めながら外を眺めると、
緊張が解けてほっとした。
パクディンからナムチェへ
前回のランタンエリアと違い、ロッジの多さにビックリ。
(今はオフシーズンの為、半分以上は閉まっているが、、)
携帯電話はもう当たり前なんだけど、
インターネット、そしていまやWI‐FIまで出来る宿もある程。
そんな便利な宿も魅力だけど、、
僕らはいつも通り建物の雰囲気がよくて、
スタッフも良さそうで、
そしてなによりごはんが美味しそうな宿を探す。
オフシーズンの為、泊まった宿は僕らだけ。
シェルパのキッチンで暖かいネパリフードを頂いた。
彼らは暖炉の火を自在にあやつる。
薪やマツボックリ、そして固めた牛糞まで。
それぞれの鍋を動かしながら、
料理を仕上げていく。
土作りの暖炉だけだと思いきや、
レンジやオーブンまで、、、
進化するエベレスト街道。
でもちょっと残念。。
冬期のネパールでも標高の高い場所は日差しが強く、アンダーシャツとフリースで充分。
しかし、日差しがない場所や風の通り道になる川沿いなどは、ジャケットを羽織らないとさむい。
ベンカール(2630m)からモンジョ(2835m)へ軽めのアップダウンで進み、
途中のチェックポストで国立公園の入域料を払う。
チェックポスト
ここで国立公園入域料を払う。
チェックポストの横にあったゴミ箱から、山羊の角が出ていた。
気になって聞いてみたら、暇そうな役員のオッチャンに「食べるか?」と聞かれた。
いりません、、というかここに捨てるか?
次の村、ジョルサレ(2740m)でお昼をとる。
ナムチェの町に向かう急登の前に少しの休憩。
ここから標高差800mの急登を進む、頑張りどころ。
3000mを越えたあたりから、
荷物がより重く感じてくる。
途中からは景色も見れずに、
地面をみながら一歩一歩。
そう、何事も一歩一歩。
僕はポーターになった気分で、
坂道をジグザグに進む。
頻繁に休憩をとりながら、、。
タルチョがなびくこの橋を渡ってからが、
ナムチェへ続く急登の始まり。
しんどい僕らの横を、
少年は一気に駆け抜けていった。
急登の途中、エベレストが遠くに見えた。
ルクラからパクディン
ルクラに着いて、食堂でダルバートを食べる。
すでに標高2840mのこの町。
採れる野菜は限られている。
カトマンズとは違い、
いきなりのシンプルなダルバートになった。
ルクラ空港
いきなりのこの景色。
これからのトレッキングがたのしみだ。
ルクラ空港滑走路
斜め三十度は下がっている細くて短い滑走路。
ダルバート
標高が高い場所という事と、今は冬期で野菜が少ない。。
ジャガイモ、ニンジン、、あれば青菜。。残念。。
ルクラの町を出て、トレッキングスタート。
ガイド、ポーターなしの今回のトレッキング。
しかも冬期という事で、荷物が重い。。
約20kg、、ふぅ。。
ということで、
焦らずスローペースで進んでいく。
タドコシ川に沿って、
奥へ奥へと進んでいく。
さすがにメジャーなトレッキングルートだけあって、
歩きやすくて、自然の景観も楽しめる。
前回のランタンと違い、
早いペースでロッジや村が表れるから楽しい。
汚れた看板、
暖炉の煤がついた扉、
何度も塗り直した壁、
シールや油で汚れた窓、、、
自然の景色と共に、
いやそれ以上に、
美しいものがたくさんあった。
写真をたくさん撮りながら、
ゆっくり進んで3時間、
パクディンの町に着いた。
今朝の飛行機の出発が大幅に遅れたため、
今日はここまで。
カトマンズからルクラへ
ネパールのトリブバン空港に朝5時半着。
トレッキングのスタート地点、ル
クラ行きの飛行機は霧の為飛ばず。。
まあ、これは予想どおり。
この時期は霧が出やすいうえ、
小型飛行機は有視界飛行だし。
無理して飛ばすほうがよっぽどこわいし。
小さな空港内は、どんどん人が溢れかえってきた。
6時間ほど待ち、諦めかけた頃アナウンスが入った。
やった!
たった20名ほどしか乗れない、
小さな飛行機が飛びたった。
国内線の空港内
荷物がザザーン。
インド・ネパールではよくある風景。
ロビーがかなり寒いため、みんなうろうろ。
身体を動かしながら、なかなか来ない飛行機を待つ。
カトマンズからルクラまでの飛行はマウンテンフライト。
贅沢な時間を過ごした。
カトマンズ~ルクラ間は左側がおすすめ。。
ヒマラヤビューです。
昨日、僕らはオープン前から航空会社のオフィスに行き、
4、5日滞在してることを伝えた。
一番最初のフライト便を要求し、
チケットが取れた。
5時半に起き、
ロッジの窓からいつものように外を見ると、
この時期にしては、
珍しく霧ひとつなく、
素晴らしい天気。
行き先のカトマンズの天気、
飛行ルートの風の強さの具合は
ここではわからないけど、
まず一つ条件をクリアした。
いつものパンケーキを食べて、
すぐにチェックインに向かった。
そこにはポーランドの青年がいて、
今日のフライトを、
みんなで祈った。
少し遅れて、
僕らの第一便が来た。
僕らは飛び上がって、
声を出して、
喜びをわかちあった。
大嫌いだったルクラの町に、
一礼だけして、
僕らの飛行機は飛び立った。
そして今は、
カトマンズ。
今日からまた、
充実したネパリフードを、
食べまくるぞ。
僕らはなぜこの町に滞在しないといけないのか?
なぜ飛行機は僕らを乗せてくれないのか?
そんな事を考えていました。
今この町に残っていて、
4日以上飛行機に乗れていない個人旅行者は5組。
日本人の僕らとポーランドの青年2人とドイツ人1人。
ここ何日か通常通りの便数で飛行機が飛んだ日はなくて、
例えば、、
3日前 霧の為ゼロ
2日前 強風の為、第一便のみ
昨日 霧の為ゼロ
今日 第6便まで飛んだが、僕らの第7便の前に終了
昨日は待つ事ができない旅行者が
ヘリコプターをチャーターして何台もかえっていった。
非常にも1台約25万、しかも最大定員5名まで。ど
う頑張っても1人当たり5万は必要。
1週間2週間まって飛ばなくても、
何も保証はないだろう。
毎日、3時位まではフライトを気にしていなければならないため、
他の事を集中してやる事もできない。
今日は6台の飛行機が飛ぶのを
僕らはただ見送っていた。
さっき航空会社にみんなで行って
僕らの状況を伝えてきた。
とにかく明日の飛行機に乗れる事を祈るだけ。